自身の中学受験を振り返ってみる(中学合格まで)

前回記事で小学校入学前から5年生までを振り返りました。今回は佳境となる6年生から中学合格までを振り返っていきます。

 

6年生は週5回塾に通う

6年生になると水曜日と土曜日以外は塾に通うようになりました。

平日は17時から21時までの4時間授業でした。日曜日は朝9時から塾内模試、午後は17時まで模試の解説、その後19時頃まで灘中学・ラ・サール中学対策の授業が行われていました。

特に日曜日の模試はほぼ毎週行われており、その日のうちに順位や偏差値が載った冊子が配布されていた記憶があります。

私はスーパー選抜クラスでしたが、総合的な成績は中の上くらいだったと思います。日曜日の模試には近隣の校舎から多くの生徒が集まります。そうなると天才と思われるような人も現れます。

Kさんは模試のすべての科目で毎回満点近くの点数を取り、模試では全塾生の中でトップ3に入るような存在でした。模試の解説では、先生が「この問題が解けた人??」と挙手を促しますが、その質問をされた時、皆がKさんの方を振り返ります。そして1年を通して手を挙げなかったことはほとんどなかったように記憶しています。どのような勉強をしているのか、いつも聞いてみたいと思っていたのですが、シャイな私は結局聞くことができませんでした。

このような感じで、6年生になるとある程度時間を確保して自主学習できるのが水曜日と土曜日の2日のみになりました。当時は模試を復習することの重要性を理解できていなかったので、基本的には塾のテキストや配布されたプリントの問題を解いていたように思います。暗記科目もしくは暗記できるような単元を中心に点数は伸びていきました。算数はテクニックの暗記に頼っていたため、本質的な理解はあまりできていませんでした。そのため、見たこともないタイプの問題が出たり、いわゆる難関校の問題はなかなか解けませんでした。解ける問題を拾っていくことで少しずつ偏差値が上がっていきました。

志望校を決める

小学生当時は福山市に住んでいたこともあり、受験勉強を始めた時の志望校は広大附属福山でした。福山市内の受験校として、当時は近大附属福山、盈進、英数学館がありました。広大附属福山に合格できなかった場合、福山市内にはこれに並ぶような私立の中学校はありませんでした。次点は近代附属福山ですが、近所で特進クラスに通っている人の話を聞くと、とにかく勉強漬けという印象だったので志望対象にはなりませんでした。

広島市内の中学校は魅力的でしたが通うのが大変なので諦めました。自宅から通えそうなのは岡山県の金光学園中学校でした。金光学園は当時、広大附属福山より少し偏差値が低いくらいの学校でした。学校見学に行くと、数年前にできたばかりの大きな体育館、広い校庭、綺麗な校舎・・など目に映るものすべてが魅力的に見えました。ある意味では不純な動機だったのかもしれませんが、こうして第一志望校が決まりました。

 

いよいよ受験本番

模試の結果では広大附属福山も金光学園もA判定はあったと思います。

先に金光学園の試験がありました。筆記試験は手応え的に十分でした。ただ、金光学園は面接試験があり、それほど対策はできていなかったので不安な面もありました。正直、緊張していて何を話したのか今では全く思い出せません。

金光学園の合格発表の日のことは今でも覚えています。小学校の休憩時間に父が合否を伝えに来ることになっていました。父の車が校庭にあるジャングルジム前に停まりました。車から降りた父がフェンス越しに両手で大きく丸を作りました。嬉しくてガッツポーズしたことを覚えています。

次に広大附属福山の試験です。両親としては、もし合格できればこちらに通って欲しかったに違いありません。試験会場に入室した時、その光景に驚きました。

「机と椅子がデカい・・というか繋がっている!?」

表現しづらいのですが、机の足が椅子の方に伸びていて、椅子の足と繋がっていたのです。そのため、椅子の位置が固定されており、自分にあったポジションで座ることがやや困難でした。こんなことに気を遣わなければならないなんて・・・。そして、設備的な面でこの学校に通いたいという気持ちが試験前から無くなっていきました。

点数配分は国語・算数が各40点、理科・社会が各30点+内申点だったように思います。その年の試験の難易度は低めと言われていたので、少し不安はありましたが何とか合格できました。しかし、広大附属福山には恐怖の二次試験がありました。

 

二次試験はくじ引き

広大附属福山の二次試験では長らく抽選(くじ引き)で合否が決められていました。

インターネットで検索してみると、国会でこの話題が採り上げられていたようです。

広島大学附属福山中学校の入試における第二次試験(抽選)の制度の廃止に関する質問主意書

〜衆議院ホームページより〜

一次試験で入学定員の2倍程度の人数を合格とし、二次試験のくじ引きで半分を振るい落とすというものです。他の受験生や親達が見守る中、受験生が1人ずつ番号の書かれたくじを引いていきます。箱には受験生の数より1枚多くくじが入れてあり、最後に残った番号が発表されます。

その番号から合格予定人数分後ろの番号の人が合格となります。例えば、二次試験受験者数が100人いて、合格予定者が50人、残った番号が70番の場合、71〜100番、1〜20番が合格となります。

残った番号が発表された瞬間に会場は阿鼻叫喚の世界となります。

他の年がどのような様子だったのか分かりませんが、私が受験した年の二次試験は事件が起こりました。

私自身は第一志望校に合格しているので、比較的軽い気持ちでくじを引きましたが、自分がくじを引いてしばらくして、1人の受験生がおもむろにくじが入った箱を持ち上げました。そして、くじをかき混ぜるために箱を大きく振り始めたのです。会場に響めきが起こります。その受験生が合格したのかは分かりません。不合格となった家庭では、この受験生が悪者にされたに違いありません。

結果的に自分は不合格となり、金光学園に進学することになりました。

 

中学受験を振り返って

受験勉強をしている間、ゲームをして遊びたい、テレビを見たい、他の友達のように学校から帰ったら一緒に遊びたいという気持ちは確かにありました。でも、勉強が辛いと思ったことはありませんでした。少しずつ知識が深まり、これまでできなかった問題が解けるようになっていく・・・その過程は貴重な経験です。

大人になってあの時勉強しておけばよかった・・と思う場面は多くの人が経験していることだと思います。私が子どもに伝えられるのは、学ぶことの大切さとそれを今後の人生にどのように生かしていくかです。

受験勉強や入学試験には基本的に決まった答えがあります。大人になって職に就いた時、そこには決まった答えはありません。答えを探していくのは自分たちであること、それを探していくためには勉強して様々な知識を身につけるのが有利であること、学校での学び以外にも大切なことはたくさんあること(特にマネーリテラシー)、そういったことを中学受験を通して長女には学んでいってもらいたいと思います。そして、私自身も成長していきたく思います。

最新情報をチェックしよう!